kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

自分の”現在地”を知りながら進む 3

自分の無意識下にすらない
知らない世界があって
それはたとえ一生かかっても
自分とは別の世界でしかないということ


自分の存在は
体・心 ありきなのだけど


体・心はどうも癖を持ちやすい


体・心の癖を なおすのではなく
知ればいいのだ



自分はこんな感じ・・・


他人とのちがい かたより 
そして そこから見える


自分の持ち合わせている、ただここにいつもある、”からだ”
自分の大切にしてきた”心”



からだは意識を向けなくともあるけれど
心は意識しないと保ちにくい



そして


今気が付いたことは



知らない世界があっていいということ


自分の中の
無意識を意識的に持っていこうとすることとか
無意識を意識下においてわかることとか感じることは
自分にとって成長できることになるとは、わかる


だけど


この世界に
自分がいて
自分とは違う他人がいる以上
自分の世界をそれぞれが持っていて
てことは


他人の世界は自分が全て知るはずがないということ


だって・・体なんて
自分は女だから男性のことは
一生かかってもわからないことが多い・・の、だろう



心もきっとそうなのだろう
目に見えないけれど自分だけの感じる 自分自身が私の中にあって
それは私でしかないから 
ほかの誰かのものを知れるものではない


それぞれ別なのだから
同化しないし
なぜか同化したくなるけれど
それでも同化しようとしてはいけないのだ
自分がなくなってしまうから
自分を守るために



全てを一人で意識することは 
無理なんだということ
自分一人の限界は 必ずある ということ


諦め、ではなく 明らめ
あきらめ=あきら かにみと め るということだそう


断念することではなく
明らかに、 そのものごとを、 受け容れる
ということ