kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

ゼロのエネルギーへかえる2

個々の持つ
オリジナルの純粋なエネルギーって


例えていうなら 色に近いのだろうと思う今日この頃



人それぞれいろんな色があって
それぞれ 綺麗



誰かとつながって
重なる部分のハーモニーもきれいだし
たくさんつながっておおきな画も描けてしまう


そんなイメージ




そのエネルギーは


過剰だと 濃くて他を見えなくしちゃうし


不足していると薄くて他のカラーの中で見失うし



綺麗な状態に発光している状態を保つことがいいのだけど


バランスがむずかしい


どっちがいいというわけでもないけど
目の前に現れる現実の運んでくるめまぐるしさの中で私たちの持つ色は
濃くなったり、薄まったりと
常に揺らいでいる



捉えることが難しいから
わたしは
その色のついた一人一人のオリジナルエネルギーにも
振れ幅があると 考えるようになった


本来
生まれてから常に同じエネルギーの流れている
自分 という たった一人の
個体を与えられた自分という存在


なのに


それはとってもはかなくて
だから尊かったりもするんだけど
でも
やっぱり はかなく
その姿も 確認できるものではない


自分というのは どうも とらえどころがない子なのだ
常にゆらいでいて
いつも同じ調子ではない
そして
そのゆらぎも自分なのだ



目の前のことに意識を奪われてみたり
そこへ思いを馳せてみたり
時には自分を守るため争ってしまったり


そうすると
ゆらぎどころか


存在さえもうろうとしてくる


非常にあいまいな子でもある




だけど
確かにあるんだ
しずかに ゆっくり
確かに


それを感じるには


やっぱり 自分にむきあうこと
自分の欲することをすること
いつでも同じものでなくったってい


その 自分の欲するもの したいこと
その同じでないことも受け入れて


自分の持つ
”経験からの癖”を癖だと気づけば 自分探しの気づきになる
”今の自分の偏り”を把握できたら 環境を整えるきっかけになる
そして最後
”ゆらぎ”を感じ取れるようになったらマスターかも
ゆらぎまでくると 身体 心 その辺も影響するし調える必要も出てくるかもしれない



エネルギーありきの
心もちに頼っての
身体という個のギフト
それが
自分


ぜんぶ、欠かせない