kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

快を求める

つくづく思う
快 しかないのだと


快 を得ること欲することを


我慢することに慣れすぎていた


快 は 
求めちゃいけないような
そんな気がしていた


ちょっと、悪いことのような
ちょっと、依存しすぎて抜け出せなくなるような
そんなイメージが私の中で作られていた


いつからなのかなぁ??


赤ちゃんの時は
快のままに
ミルクを求め 抱っこを求め 安心して眠ることを繰り返すことが
当たり前だったはずなのに


理性が邪魔をしていたのかな??


”理性は悪いものではない”
けれど
”理性は万能でもない”
ということは
今は、はっきりとわかる



理性 
欲望
その狭間でいつだって私たち人間は揺れている
そう、バランスなのだ



大人になった私は
理性で自分を律することも十分にこなせる
その律した時に自分や他人に及ぼす影響もわかりすぎてしまう
やたらとそこにデリケートな自分がいつも、いる



それを、これからは
使いこなしていくイメージ



理性だけじゃダメだけど
欲望だってゼロにはしなくてもよくて
その中でバランスの取れている状態
これが快なんだろう

その感覚を多分繊細に感じてしまう自分
そんな自分の苦手なこと、得意なこと
していきたいと思っていること
それを思い切り、こなしていこう



普段頑張りすぎていると
たくさん緩める時間が必要だろうし


理性で何もかもを頑張ることという方向にだけ
アクセル踏みすぎちゃいがちだった 
かつての私


頑張ってきたんだよ、もう
うんと、頑張ってきた


それがわかったから
こうして緩めて


その両極を味わって
楽しんで苦しんで悩んで


そして思ったこと



もっと、シームレスに生きたい


自分と周りの状況をアンテナ張って察知して


時々はそこそこ頑張り
そこそこ緩めたりもしながら


いつでも自分の軸に近い自分でいたい


ここが自分の真ん中(=快)だと
いつでもその感覚に戻ることができたら


幸せなんだろうな、いつだって 


自分を愛して、
いつだって自分を究極に愛しているから
自分の本当の姿をいつだって瞬時に捕らえられている


時間や自分の何かを
時と場合によっては犠牲にすることはあるかもしれないけど
絶対に”自分の本当の姿”そのものを犠牲にはしない



そうしているうち
他人にも最善を尽くせるんだろうな


まずは、自分



・・・多分ね。
実感が湧いてきながらもまだまだこの感覚は
自分にとっては生まれたて。


だからこれからは
それを証明するように、確かめるように生きていこうと思う