kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

”障害者”である長男の存在

夢と現実の間は遠くって


この間、夢を描いていると
私一人では到底到達できない、


”世の中の、社会の 仕組みを ひっくり返したい!”
みたいな・・・衝動、
だけど、ずっと自分の根底にあること、小さい頃から感じる社会に対する違和感


今の社会を否定するわけではなくて
でも、完璧で万能ではないとはわかっていて


だけどいつまで改善しようとも時が移ろいゆくと同時に改善しつつも万能でない
そういうものが社会の性質、真なのだろう
そして状況ごとにそれに立ち向かい、
自分の生かされた世代にとって良いものに変えていくことができることも
私たち人間に与えられたエネルギーなのだろう


社会 が人間の作り上げたものだから
当然、手を加えていくことも責務で
一見、私一人なんで何の力もないように見えているけど
それは弱い自分の、偏った色のついたメガネで見ているだけなのだ
自分こそ、この世界を作り上げている一員なのだ


”私なんて”
という言葉は謙遜ではなく
自分が動くエネルギーを作り出すことのできない
作り出す勇気のない弱い自分の
言い訳




今の自分がいるのは
これまでの社会を必死に守り抜いてくれた
親世代、祖父母世代があってからこそで


心底、感謝しかない



今、物質的豊かさが最大限、確立されていて


この社会、お金で大抵の物質は手に入れることができるようになった


そんな仕組みを作り上げてくれた


生まれ持った資質を活かせば
知識や閃きを使えば
育った環境に左右されず
対等にチャンスを得られる
この、ある意味では平等なことが約束された世界が出来上がっている


そこで
今、
私たちに必要なことは
これを維持すること だけではないような気がするのだ


私たちがこの仕組みを最大限
活かしながら、恩恵を受けながら、感謝をしながらできることは


次なる発展に尽力すること
これが、必要な局面に、今、立たされているということ
その重要さを認識するということ


このありがたい世代に生を受けた自分は
次の世代に、自分のエネルギーを存分に使って
さて、どうやって繋げていくのか???




障害を持って生まれてきた長男を授かって思った
これだけ平等なはずの社会は
なんて、不平等な社会・・・ともとれるということ
何事も表裏一体とはいうけれど
全員にとって、表裏一体なのなら自然なのだけど
一部の人にとっては平等、
多くの人にとって不平等 ・・・とは、
今の社会の抱える大きな問題なのではないのかな



人の本来持って生まれた個性、能力を最大限活かすためには
今は、なんとも不平等な社会
これを是正していくこと、より良くしていくことが私の生まれた世代の使命


生まれてきた時に出来上がっていた社会の仕組みに
最大限感謝をしながらも
まだ残る少々の歪みを果敢により良いものに変えていくこと




私の11歳になる長男の長所は 純粋さ。
生産性・分析力がないと判断され
今の社会では”ハンディ”とも呼ばれている
・・だからこそ、自然と生まれてきている純粋さなのだろう


私や家族、多くの関わる人の胸の内を
鏡のように吸い取って自らの表現でもって
たくさんの人々に
何の策略もなく、ただ、素直に
表していくことのできるその性分
自分がどう見られているかなど考えるような詮索はしないのだ
詮索はできないけれど、詮索できないからこそ、
純粋に表現できるという、
違う分野での素晴らしさを発揮して生きている


これを活かしていけたら 多くの人に対して
自分や仲間内では気づかされることのない
人の”不完全さ”を伝えていけるのだろう


”不完全”は悪いことではなくって自然なこと
誰も、完璧ではないということ
完璧な人間なんて存在しないということ
完璧なふりをすることもなく幸せに生きていけるということ
その不完全の作る空白こそ、余裕であり、他者と自然に強力に繋がり合い
一人ではなし得ない何かを作り出せるということ



自分は自分であって良いのだということ
自分であるからこそ、人は儚くて美しい人でいられるのだろう


私も完璧ではない
努力するタイプではあるけど怒りっぽいし
そういうことを教えてくれたのも
紛れもなく”障害者”とレッテルを貼られている、長男の教えだ


環境を整えて
自分の嫌と思うところは修正しつつ
それでもまだ埋まらない不完全さを活かして


多くの人と関わって
次の社会を考えていく、作っていく、次に繋げていく
そんな主体性のある社会の一員でいたい



長男に対しては・・・情けないながらも
障害者 というレッテルを貼ってもらうことで
どんな風にしても泣き止まない、こだわりの強い、いつまでたっても言葉を発しない
当時の自分が、
”自分の子育てが原因で悪いのではない”と
弱い自分を正当化したのも、事実
長男は”型にはまらない人だ”と理由をつけてもらって
余裕のない自分の感情を整理したかったのも、事実
そんな弱い人間だった私


ここから
その自分の弱さも受け入れつつこのままではいたくないから
長男の教えてくれた
言葉からではないけれど
ただ、一緒に生きているということで表してくれている
生きるということ、生きる意味
どんなことがあっても払拭できない隠せない生まれ持った性質
そんなことを
たくさん横で感じながらこれからももっと教えてもらいながら


もっともっとしなやかに強く生きたいと願い、そうなると決意をして
生きていくんだ