kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

変わっていくということに抗わない

人が変わることは
なんとなく、悪いことのような気がしていた私


人が変わる ということに対して
そんな変化を成し遂げたことのなかった私は
変わる心境を目の当たりにしたことがなかっただけなのだ



結局、
変わることが悪いことのようなきがしているというのは
私の、思い込み、偏見だったのだ


”自分が強くなるために変わる”ということさえ
それを受け入れられない自分


純粋な、自然体の自分が好きだったからなのだろう


自然体 ということが
自分の中で美化されていて
されすぎていて


それは
自然体でない人を見たときに感じる嫌悪感に
自分が阻まれていたということ



自然体は、確かに、いいものなのかもしれない
だけど
それがいつどんな時もどんな状況においてもそれを貫き通すのがいいのかというと
そうでもないのだろう
そのくらい、世界は広い


いろんなことを知っていくたびに
その世界を知り その世界でのやりかたに
ちょっと自分のエッセンスを加えながらそっと馴染む


きっとそういうことが
この世界で生きていく私の心地いいスタイル ということなのだろう






悲しくても
何があってもこれまでつくりあげてきた自分を
貫き通したい自分が
強く、
いつもあった



だけど
結局のところ
そう思う背景には
変わるということを知らなかった
変わるということに許可を出せなかった
もっとこうあらねば と自分を頑なに押し出してしまう
そんな、一方的ともいえるような自分がいたのだ



自分が変わらないのが良いと思うから
ずっと変わらないでいて
だから余計に頑なに変われなくなって
変わらないこと に対してどんどん自己強化していく


変わったことがないから変わることをわからないまま
そうならないように と
変に力が入って そうするとやっぱり自分のスタイルも崩れてきているというのに


ただ、自分の周囲にうつる人たちを
自分のフィルター越しに見て
あの人、以前と比べて変わったな とおもって
それを
自分のフィルターのかかったおせっかいな思考が
ぐるぐるぐるぐる、妄想して
きっとこうだから変わったのだ
なーんて
勝手に考え決めつけ、また嫌悪感を抱く



それだけのこと


変わる経験を拒否していたから
変わることがわかんなかっただけで


そう思っていた


・・なのに
今の私はというとどうなのだろう


自分で意図せずに、この数年で変わった
それは
偶然なのか必然かわからない、
ただ目の前に起こった出来事が
自分にとって抵抗なくスムーズに新しい自分を作り上げていた


スムーズに運んだものだから
そういう運命だったのだ、時期だったのだ
だから悪く変わったんじゃない、と自己評価していた



だけどそれって自分だけが知っていることで
例えば家族からしたら
あれ?急に家の用事手を抜くようになったなぁ とか
マメじゃなくなったなぁ とか


ひょっとしたらそう見えていたりする可能性もなくはない


私の旦那さんは
とってもそのあたりがフランクだから
なんにも言わないし、なにも多分気に留めていないけれど
普通のというか
アタマ固いような人なら怒っても仕方ないくらい、私は変わってしまった



自分は
意図せずに変わったからラッキーで
他人が
意図して変わると悪者扱い
みたいな評価をずーっとしていたのだ っていうことを知った


衝撃


内観というのは怖いもんだなぁ



ほんとに衝撃でしかない


私まだまだ偏見の塊だなぁって




変わることが悪いわけではないのだ


どういった理由で
どういった意図があって
どういった自分を実現するために
変わっていくのか
ということが明確であれば
どんどん
変わっていけばいいということなのだ
うーん
変わればいいっていうものでもないな、
なんていうか
変わることを選択肢に入れていってもいいということなのだ



私はその瞬間瞬間において
その瞬間の私 であり続けたいということは
やはりあるので
そこはあきらめてはいないので


そこにどんな自分を描くかということは
自分の想い、自分の意図することを
いつも感じながら、表現しながら


意図して葛藤して
瞬間の自分をつなげていって
そうやって
自分を保つために変わっていこうと思っている