kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

父の姿

父との思い出はほとんどない。
その思い出というのは一般的な思い出。


どこかへ出かけた、
何かをした、
記念日をどう過ごした とか。


そんな カタチ が残っていないことを、
私は長らく、思い出がない と勘違いしていた。



それはなぜだったのかがようやくわかった。


カタチを作る人ではなかったのだった。


カタチはなくとも、俗にいう、背中で語る父だったのだった。


父は、
自由で 仕事も出世コースを選ばない 家族とまともに話もしない
でも
常に目標があって やりたいことを大切にし 言葉少なに的確な助言をくれた。
というのが今やっとわかった私の父親像。


必要十分だったのではないか。


干渉しないから素直に聞き入れられる。


そして何よりも学びの大きかったことは
挑戦する姿、
常にベターな道を選び取ろうと進む姿、
自分を貫き通す姿。


父が父でよかったと思う。