kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

こころの持ち方

何かに突き進むと
進んでいる最中は必死でただ前しか見えない。
その道しかないんだと思い込んでいる。


我に返ることは勇気のいること。
いろんな見たくないものを見ること。
弱い自分、諦めていた理想、描いていた夢と現実のギャップ。


振り返り気づくことが悪いことでさえ思っていた。
その振り返り、気づきは邪魔なものだと思い込んでいた。


「そんな綺麗事いってられない」
「どうせ・・・だから」
そんな言い訳をこぼしあう。
進んでいる先が本音とかけ離れていっているにも気づかず
違和感を覚えることがありながらそうして理屈をつけて正当化することばかり。



子供の頃、まっさらな心で動いていられた頃にはそうでなかったはずの自分。


なのに、悲しい経験に遭った時、そんな客観化された意見にいとも簡単に共感、
呑み込まれて行ってしまう。
一度呑み込まれると、そこが意外に楽でいられたりすることにも気づく。
敏感すぎた心が鈍感になって麻痺している。
そんな状態を「大人になったもんだな」と成長したかのようにまで感じ
別の意味で満足し、その状態にいることを肯定する。



そうして自分で知らず知らず
まっさらな心を客観化した意識の奥底に沈み込めてしまう。



そんな自分をうっすら感じながら、
その意識の奥底に触れることのないまま進んできた。
そうしていることが当たり前の日常の繰り返し。



ある日、突然、心を揺さぶられる経験をした。



すると、その沈み込めてしまっていたその自分の本心が、
うずく。
主張する。
そしてどんどん大きくなる。
全部を塗り替えるかのような勢いで私だと思っていた意識を支配したがる。


心は死んだわけではなかった。
むしろその瞬間、自分を揺さぶるエネルギーに遭遇する経験を
ずーっと息をひそめて待っていた。


相当のエネルギーがなければ復活することはできないくらい頑なに、
自分の意識を別の方向に向け固定し続けていたことを理解していたよう。



蓋をしてみないふりをしようともするけれど、そんな風にしてきたこともあったけど
大きなエネルギーを味方につけていたその瞬間はもう、
私自身は、ここにいるんだ!
これが私なんだ!と、
蓋を勢いよくはねのけている。
そんな蓋なんていらないんだよ!と。



その後どうなったのかというと。


確実に自分のしてきたこと、歩んできた道が本心とかけ離れていたこと、
ずっとずっと自分を裏切り続けたことに気づく。


本心よりも、人からどう思われたいのか、その気持ちが圧勝していた結果、
自分の心の声よりも、客観化された意見を信じていた。


大きく落ちる。
大きく、大きく。
もう、とりかえしのつかない距離をそうして生きてきてしまっていた。
20歳そこそこならまだしも、今更、これに気付いてどうしようというんだろう?
何ができるっていうんだろう?
何もできない、動けないほどに、いろんなものを、
責任が伴い手放すことのできないいろんな余計なものを抱えている今の自分。


あぁ、だから気づかなければよかったのに・・・と深く思う。




でももう蓋はできないのだった。


それだけ、心の存在は大きなもの。
自分のすべて、これからの自分を必ず導いてくれるもの。




でも、手元に残ったものも0ではなかった。
むしろその残った宝物がこれまでにも増して輝きを帯びてくる。



大きく落ちてエネルギーを消耗した今、感じたこと、大切にしようと決めたことは


突き進む必要はないのかもしれない。
寄り道しながら、一息入れながら、
いろんなことをヒントにして感じながら、
自分のペースで、思った方向へ進む。


調子いい時もあるだろうし
いまいちの時だってあるだろう。


でもそうしてうろうろしながらでも、
何よりも確信を持っている自分の存在、
それさえ見失わなければきっと少しずついい方向に軌道修正できるんだって信じていく。



自分の声に耳を澄まそう、と思う。
自分を高めたい、と意識しながら。