kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

自閉症という枠

自閉症、広汎性発達障害。
3歳頃に降りた長男への診断。


今は普通に受け入れられている。


ここまで来るのに段階があって


1 受け入れるのに時間がかかる
治るのではないか、診断ミスではないか、他の子との比較、自分自身が偏見を持っていた場合それに気づき苦しい


2 家族との葛藤
母親が一番受け入れやすい関係であることが多いと思うが、父親、祖父母への告知のタイミング、共有、支援方法の統一の必要性を伝えることの困難さ


3 無理解の人への対応、スルーするスキルを身に着ける
2の家族の理解が進まない場合も合わせて、生活するうえで無理解の人への対応方法、必要であれば告知、情報の共有
特に見た目に分かりにくい場合、心無い言葉を投げかけられることも多い


4 教えてくれたこと、気づかせてくれたことへの感謝
両親の育った環境にもよるが、特にこれまで障害を持った人やグレーの人と接点を持たない環境にいた場合、大きく意識が変わる。
できることを見る、できないことは細かなステップを作りひとつずつ上ることで嬉しさが何倍にもなり返ってくる喜び。当たり前ということへの感謝、周囲の人の温かみに触れる、自身の生き方への問いかけや変貌もあるかもしれないと思う今日この頃。


やっと4にきたこの2年ほど。


受け入れ切れていないと感じたのは年長の際、進路を決めるときにまだ感じていた。


この子を信じたい、そう思っているのに、どこかで余計な手をまわしている自分。
できないだろう、酷だろう、と大人が勝手に判断して
成長の芽を摘んでしまう。


この子の歩んでいるのは、私の人生ではなく、まっさらなこの子の人生であることには、ハンディは関係のないこと。


診断名はいわば人に分かりやすく短時間で本人の特性を補足するためだけのモノ。
あいまいなもの。
常に変化していく、成長していくもの。


なので健常児との違いはない。


「今のこの子の」できること、課題、夢。
それを最大限に発揮できるような環境を整え続けていくこと。
楽しみながら。
それが基本であり、それ以上のこともいらない。
そうおもった年少期だった。



そんな長男ももう小学3年。


交流先の普通級の懇談会で言われたことは
「この年齢になると男女間の距離の取り方について、わかっていけることを目標にしています。」
なるほど。
もう、そんな年なのね・・・
いままでの、インクルーシブ的考えだけでやっていてはいけない。
それを計る能力ははっきりいってゼロに近い長男。
でも友達の大好きな長男。
このまま人を好きで、そして受け入れてもらうためには
少し、私の工夫が必要なよう。


ありがたいお言葉だった。


自閉症だから、で許してもらうことを望んでいるわけではないはず。
やっぱり、それはあくまでも特性の補足であってほしい。
自閉症だから、こうだ。 →しかたない ではなく
            →こう工夫したら(本人は)できるだろうか
            →できなければ、ではこうしたら、こうしたら・・模索
そんな、丁寧さ。
めんどくさいようで、小さい階段を一つずつ登れる、何度もの喜びと、工夫したことが成長につながった時のうれしさ。


一人の人間として自分の道を築き、そこを生きていきたいであろうし、生かせたい。
そうすることで周囲も診断で偏見することを減らすことに繋がるのではないかと信じてやまない。
できる範囲で、できることを。
少しずつ、少しずつかみ砕いて、そして、何よりも、心を込めて。
きっと、伝わるはず。