kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

【自分のことを大切にできない】 という魔法

”自分のことが世界一大好きなんですよねー”


先日
受けた
自分の枠を超えるというテーマのコンサルテーションで
私が
先生に向けて発した言葉・・



今、思うと
はい、ちょっと恥ずかしいです・・・



”自分のことが世界一大好き"
というより・・・・


”自分のことがまず一番に大切に思えている、そのことが一番大切”という
言葉の組み合わせが一番しっくりくるかな



そのあたり
子供のような表現ではなく
洗練された?少しでも大人の考えを用いた
表現がすぐ出てくるように
トレーニングしてゆきたいと思う^^
というのはさておき・・・・・・・




私たち
きっと
本当は
自分のことが大切なはず


だからこそ
お金のこと、自分の身を置く環境、人間関係とか
そこに目が向き


多大な
心配をしてしまうのだろう



そしておとなになりきった私たちは
知恵がついて
その心配の方が先立って
色々
立ち回り
ストレスを抱え込むこともあり


だけどその状態では
自分のことは後回しになってしまっている





まずは
自分が他の誰でもない自分を
ととのえ、コントロールしてゆくことで


そこから
他人にも
様々な環境にも
応じてゆけるものなのではないのかと思う





自分が、まず
他の誰でもなく
優先順位として
常に、一番目にあること


これが違和感なくできたら
その時
はじめて
自分のほかを含めた
全てが大切に思えるのだろうと思う



”まずは自分という考え” これってすんごく
微妙なことで
一歩間違うと
自分のエゴを追い求めることになっちゃう
だから
嫌う人はたくさんいて
だけど
そうすると
自分は後回し
まず、家族のこと、友人のこと、同僚のこと・・・・
となる



だけどね


そうしていると
常に
自分が不在になってしまう


常に
不在であるように思う自分は
簡単に
犠牲になってしまう



本当の自分は
自分に
まず
愛されたいから


だから
すっごーーーーーーーーーーーーーーく
悲しんでいる
悲しく
辛く
だけどそれを発することもなく
ただ我慢をして
犠牲にしてゆく



その
我慢さえ
慣れっこで


我慢を我慢とも思わない


我慢することに
納得できる材料を
自分のなかで自家製の材料を作り
それだけで乗り切る
乗り切ることができるから
どんどんいい具合に強化されてゆく
強化されるから
怖いもんなしの材料みたく
それこそが真実かのように
幻想を真実だと思い込んでしまう


そうすることって・・



もっともっとって
自分を
犠牲にし
積極的に
すり減らし
最後は
心や体が
不調を訴え
さらには


ひょっとしたら
生きる意味さえ
見失うようなことにも
なるのかも



痛い痛い
悲しい悲しい話




だけど私だって
そんな
悲しい話の最中にいた





20歳の前後
思っていたことがある


自分を大切にしないことに
慣れすぎていて
当時の環境は
そこそこありがたいことに恵まれていて
恵まれているからゆえ
自分で切り開く力もつけることができないまま成人した
そんな
苦悩が
当時はあった




”35歳になったら死にたい”と
本気で思っていた





今は
確かに
何かを感じ取っていたのか


35歳で
自分は
中身が一度死んでしまって生まれ変わったかのようになった経験がある


実際の命は
続いたまんま
中身が入れ替わり


そこから
いろんなことが始まり出した



決して
恵まれているとは言えない環境でもあるし状況でもあるけれど


その中で
信じられること
それを
継続をするということのできる
環境というかタイミングというか
そのような恩恵だけは
たくさんたくさん受けられてきたような気がしている


そうしたいって
本気で思うこと
それが
叶うような状況環境に変わっていってくれていた
偶然のような奇跡のような
自分にとってベストのタイミングでそれらは起こり続けている


今だってそう



ありがたいなぁ



一度
からっぽになると
切に切り開こうとする力が
湧いてくるからなのかな・・


こんなに
事の運びというのは
切に願えば願うほど


私に味方して育むべき環境に調整してくれるのだ




何に対してかわからないけど
何かにいつも感謝して
何かに心の底から感動をしている
そんな
今、毎日があって


それって
とーっても
しあわせ


社会的なしあわせでは決してないけれど


心の内側からの
しあわせという言葉に一番近い振動








自分を大切にして
その根っこが太ーく成長してからでないと
他人への
何かにつながるような
”花を開く”という次元にはたどり着けない



私は
まだまだだけど
だけど
根っこは
間違いなく育ててきた


根っこが育ったことで
自信にもなり
自分が元気にもなったのだ



そのツールをたくさん
求め
今は自分を構成するものとなっている



様々な自己肯定に関わる
ツールは素晴らしいけれど


だけど
ツールは
使いこなして初めて
ツールの意味がある


自己肯定をするだけじゃ
ちょっと足りないんだ


自己肯定をし
本当に
腹の底の底の
奥の方からサインを送っている
ほんとうの
ありのままの自分
力は持たず
ただ、生まれ持ったそのエネルギーを
自分の色で発していることを
真に認められないと
きっと


自己肯定をした っという満足で終わる
自己満足



そこから
誰かに
何かに
つなげるには
自分を
大切に
認めてあげること
認めることを
ゆるす ということをする



多分
自分を好きというのは
自分を好きになる魔法にかかったのではなくって


自分を好きではないという魔法から
解けたっていうことなのじゃないかな って思う