kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

結婚して理解する”他人の存在”の意味

自分にはないものを人は与えてくれる。


2万円かけて前後のタイヤ交換したママチャリが
なんと
修理後2日で異音発生⚡️
私は
どうしていいのかわからず
でも子供も乗せるのに怖いので


とりあえずは
再修理を依頼しに行くも、
店員さんは
「今から1時間お時間頂戴します」
と言う。


随分悠長な言葉。


こちらとしては
高いお金を払ってまで
そんな手間をかけられることに
モヤモヤ。


そのまま引き下がるような
心の器を持たない私は


困る事をなんとか伝えて、
「代車を貸し出します」と言われ、


なんとか帰宅はしたものの・・・



やっぱり
モヤモヤが残る。


「手間をかけられたことが
腹立つから
子供の自転車修理を無料でして!って
言いたいと思うんやけど
その対応ってどう思う??」と
2人の人に投げてみた。


結果。


▶️まず、1人目。
昔からお馴染みの母に相談。


母は、
『そうやんなぁ。
お金も払ってるんやから、それくらいの事は言ってやっていいんちゃう』


▶️2人目、宿敵でもあり
ある意味では尊敬もする
【意味不明】の存在の旦那に相談。


旦那は、
『それは筋違いになるから
腹立つならそう言うたらいいだけのこと。』


ほほーーー
なるほど、
私は言い過ぎかけていたのか。と気づく。


さらに彼の驚くことは、


『まぁ、俺やったら持ち込んで非を認めさせたら取りにも行かんと時間指定して家まで配達させるわ』
だと。


わわわ。
的確な旦那の対応でたー


たしかに、、、
過不足ないわ。 
それを言えたら、モヤモヤもしなかったはずだもん。



要らんことは言わない最小限の表現の中で
最大の自己表現を
瞬時に相手に対してできる、
彼の得意技。


私は、
これがどうしても苦手なのだなぁ。


旦那を通じて、やり方をこうして相談して習得したいものだ。




しかし・・・


母と旦那の対応を見て思った。


私は母の子なのだわ・・・



人って
小さい頃から真似てきた『保護者』の
言動を
知らず知らず、
自分が再現しているのだなぁ、、、
と思った。




自分のことを
より偏りないように成長させるべく
自己修正、自己成長をしたければ、
他人の考えをフラットに用いることのできる
配偶者の考えを理解する ということは


実はめちゃめちゃ有意義なのではないのだろうか・・・




これまで


結婚なんて
意味がないのかな・・ なんて思っていたけれど
そう、悲観的に捉える自分がいたけど


それって
実は
自分の欲求を
相手に満たしてもらおうとする


”未熟な自分” が そう思わせていた ってだけのこと。





結婚は


お互い、いいところだけを格好つけられるわけでもなく
ただ、毎日
ありのままの自分を表現するしかない、
檻の中のような関係性の中で


それでも


”他人の存在、その理解” を
マンツーマンと言う逃げられない関係性の中で


非常にわかりやすく手に入れることができる可能性を持つ
という側面も持っているのかも・・

結婚という意味合いについて、自分の中で可能性がひとつ広がった。




結婚 っていうのは


諸説あるけど


悲しい側面だけでもなく
もちろん
幸せの側面だけでもないけれど・・


だけど
深めていけば、続けていけば


実は、
めちゃめちゃいいツールとして
使うことに至るのも


自分次第なのだなぁ。


(ま、相手次第でもあるかもしれないけど・・・・)



格好つけるわけにもいかず
毎日、
しがらみの関係の中で


揉まれつつ
腹立ちつつ・・・


だけど
自分一人の中だけでは習得できない理解の境地を
なんとか習得したい


そのように思考回路を改めてみると



結婚相手とのなかで
結婚に限らず
人との関係性の中で


自分に足りない何かを
習得していくことが


自分の人生を進むにあたって、


避けて通れないトピックとなっているのかも。