kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

夕方ランニングをしていることもあり
よく、月を眺めるようになった


周りの景色は変わるけれど
ただずっとその日は形を変えない月。


その日のありようで、ただ、そこにとどまっている月。


意識を集中させるため
走りながら流れる景色を見ずに
集中してみていた空に浮かんでいた月だったけれど


不思議。
新月、三日月、半月、満月、
また半月、三日月、新月


その周期に合わせるように
自分を振り返るようになっていた。


初めの頃は


親との向き合い方。
根本的な問題は何なのか。
私にできることは何なのか。
ずっと問い続けていた周期。


そうして向き合った周期に得た、
本当の自分の姿。


本当の自分がわかってからは
自分を取り戻せたことに対する喜び、生きていることに感謝、
そんな嬉しさがある反面
自分が歩んできた道がそれとは真逆の方向で、それもずいぶんたくさんのモノを道連れに長い距離を進んできてしまったことに対してのやりきれない気持ち。
違和感だらけの日常のこなし方、気の持ち方。
・・・私はただ目の前の景色に応じてたくさんの荷物を抱えて走ってきたけど
これからは何を選んで、何を手放していくのか
そのためにどうしていくのか・・に集中した周期もあった。


そんな風に1周期終えると


また、新たな自分にと、ひと皮ひと皮むけていっていたような気がしていた。


全回の周期は
憧れていた大好きな人たちに出会えたこと、
大好きな人が私にはいるんだということ。
そして
会えなくとも、物理的に離れていようとも、
私の心の中で
その人の言葉、歌を通じて私の中にいつも一緒にいるということ
それがとても心強く、
私を私でいられる場所へ帰るよう導いてくれているということ
そんなうれしい気持ちを味わって幸せだった。


どうしよう、私、どんどんどんどん幸せになってきてしまっている。
どうしよう、でも、やめないし、やめられない
もっともっと先を見ていたいなと欲が出てくる。


今回もまたきれいな三日月が数日続いた夕刻。


新月から始まったばかりで。
これがまた満ちて、小さくなって、また次の三日月を見つめる頃には
私はまたアップデートできているんだろうな・・
そんな可能性を静かに、でも確かに感じている。