何故西洋占星術をしているのかっていうこと3
多くの情報が錯乱する世の中だけど
何よりも確かな情報としてある、
自分だけの知り得ることのできる
自分だけの情報
これを活かしてゆく
信じる信じないは別として
他の人にはわからない
そして同じ人なんていない
そんな
ロマンと可能性に満ちた設計図をみてゆくということを
人へアシストする人になりたい
それを繰り返して
”占いなんて”ということから
”誰もが名前のように一緒に生きてゆく画”として
出生図を持って
大切に育んでいけるツールを
当たり前にもつことができるということが
かなうといいな
いつだったかふと思っていた
そう、ハンデをもつ長男を育てていて
痛感した
世の中チグハグやなっていう
社会通念と自分の感じたことの違和感、ギャップの大きさ
今
当たり前でないことを
いつか
当たり前にしたい
そういう展開をしてゆくひとつの力になれる人でありたい
そう思うから
占星術を占いのツールとして使うだけにとどまらず
活用することに
ウェイトを置いてゆきたい
占星術の活用方法だって多種多様なはずで
そこへは私ももちろん他人は介入できない
その人次第で
その人の解釈、その人の方法でもってつかってゆく
自分の内なる可能性を
知ることができたなら
好きになることができたなら
きっと
ベストを尽くす方向へ運ぼうとするのではないのかな
誰しもがそうではないかもしれないけど
そこはまだ見ぬ壁が立ちはだかっているとは思うのだけど
でも
その
可能性をあきらめることは
私はできないのだ
可能性を信じるしかできない人なのだ
可能性を信じる方向にしか動けないのだから
全力で
そちらに動いてみるという生き方をしてゆこうっていうこと
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