kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

人とぶつかることが怖かった

小さいころから
母が苦手だった


私のことを
大切に大切に育てようとするあまり


いろんなことを私が判断するよりも先回りして
助言したり
助け舟をくれる母


たくさん
有り難いことは多かったんだけど


私は
いつしか
その母の助けを必要としない大人になっていて
その優しさを
鬱陶しく思うようになってしまったんだよなぁ



その鬱陶しく思う気持ちを
素直にぶつけてみたこともあるけれど
母はというと
悲しむだけ


母は一度そうやって私と衝突すると
私が一人っ子だったことや
父親ともずっと微妙にすれちがっている日常の不満もあって


弱いまだ幼い私に
何もかも当たり散らしてくるところがあった


私はあなたのことを思って と
言われ
私は何も悪くない!と
どんどん自分を正当化し


家事や必要な世話もあからさまに普段と態度を変えて暴力的になり
私をものすごく不安にさせるのだった


そして何も反抗できなくなる私がいた
私のちいさいころの日常は毎日そんな不安だった


”どうすれば母の期限を損ねないか?”ということが
毎日のテーマだったのだ



いつも思っていた
”未来の自分ならこんなときどうしますか?”
”未来の自分はこんな大人にならないでいてください”と


未来の素敵な自分に向けて
毎日、心の中で深い会話を試みていた



今の私の子育ての信条は
この幼い私の願いどおり・・のような気がする
・子供にはやさしくすること
・子供の想いを聞き入れること


それをいつも、大切に大切にして
自分の傷を修復してきたのだ


そして母との関係で
衝突したときにどうするのか といったことは
一切、学んでこなかった


人との関わりは
”衝突しないように” どうすればいいのか?と
友人関係も含めて
知恵をしぼっていつも考えていた



そして
ニセモノの自分の立ち振る舞い、
衝突しないやり方、言い方を熟知しそつなくこなすことが
どんどん得意になっていった



立ち振る舞いでは当たり障りなく話すけれど
反面
想いはとっても頑固なものだから


いつも
話していることと
想いが 一致しないまま
そのことに慣れすぎて
違和感もないままずっと過ごしてきた


自分のこと、頑固だとはわかっているけど
頑固をやめたら
また誰かの言いなりになんなきゃなんない と
思い込んでいたのだ


当たり障りなく話しながらも
心の中で自分の想いに固執すること は


自分の想いを発したところで聞き入れてもらえないし
自分の生活を脅かされることにもつながる
幼い頃の日々の中で


自分がつくってきた
自分の想いを守る手段だったのだ



そして今
これを
もう一度
やり直す必要が出てきている


頑固になるということではなく
ちょっとずつ何かを手放したり調整することを
自分のできる範囲で試みてみるということ


人の意見を聞き入れながら
自分の想いを修正する ということ


これから私が表現してゆく実践の場で
自身の変化の必要を迫られている課題




人に合わせることは
人にどう言う言葉をどういったタイミングで使うと
相手の気分を損ねないかということは
母との関係の中で、
十分、それはよくよく
教育してきてもらえたのだから・・


今度は
自分の中の想いと行動を一致させるということを自分で教育してゆく
自分が頑固なあまりに人の意見を
聞き入れられないということを


母との関係だけでは
うまくできなかったけど
それはもう幼い日の話。
むかしむかしの私


今度は
他人の意見を聴くことで
新しい可能性が広がってるのかもしれない ということを信じてみる


心の中で頑固に拒否しながら
人の話を聞くというのではなく
人の話と自分をすり合わせて
いいトコ取りさせていただきながら
自分をアップデートしてゆく


っていうフェーズに来ている気がする


もうちょっと柔軟になってみるときなのだろうな




母は
沢山助けてくれたけれど
口やかましかったために
その助けを素直に受け取れない自分がいた



他の人だって
私に助言をくれているのに
頑なに受け入れられないという反応が先に出てしまうのは
その幼い頃の癖がそのまま、出ているのだ


だけど
今はもう自分で自分をコントロールできる大人なのだから
今度は
足りないところを自分で育ててゆく


もっと素敵になりたいと思うから
みてみたい景色で立ってみたい位置から
誰かの何かの役に立ちたいから



誰の意見でも受け入れるというわけではないけれど
この人!と自分が思える人の助言だと思うのなら


一度 ためしに
受け入れてみる 聞いてみる


それでいいのだ


聞き入れてみないと、わからないから
聞き入れてみて
実行してみて違うと思うのなら修正したらいいだけの話


そして
他人から見た自分へのアドバイスというのは
自分では認識できない可能性のヒントがあるのかもしれない



って
思えるようなあたたかい人からの意見をいただけた
そんな春の午前中だった♪