AC脱却2・ キーパーソンは祖父だった
何度か母と私の
エピソードを話すと、
と私の「母のいいなり」「母の刷り込み」を逐一修正してくれていたカウンセラーさん。
なぜいいなりだったのか、刷り込みが取れなかったのか・・
それはあまりに近くにいるから、ということだった。
近いというよりも、もう、私の一部といえるほど、お互いが自立していない、
いわゆる共依存だといいたかったのだと思う、その言葉は使われなかったけど。
母とのことを伝えるためにしていた話から、
母との関係には全く関係のない話で、でも奇妙な体験だったからとついでに話していた祖父についての話が、気づきの大きな一歩だった。
祖父(母の父)の死をきっかけに自分の意識が変わったことをお伝えした。
「祖父が亡くなった時、自分が空っぽになったような感覚に襲われたんです。」
ひととおり話をきくと。
「お爺さんの死は、お母さんとの関係についていいヒントをくれたのではないでしょうか」というカウンセラーさんの言葉、全くピンとこなかった。
祖父の死は、昨年11月。
調子の悪い最後の1年余りを自宅や入院を繰り返していた。
万一のことがあっても十分おかしくも後悔もないように思うような年齢。
祖父は厳しいところがあり、その厳しさゆえ仕事においては大成功を収めた部類に入ると思う。
ただ周囲の人間にも厳しすぎるところがあった。
そんな祖父を心底好きかと言えばそうではないが、祖父なりの可愛がり方を十分にしてもらったことは感じていた。
物心ついてからずっとだった。
でも・・正直、亡くなって泣くことになるとは思いもしなかった。
亡くなることはわかっていたし、会ったばっかりだったし、でも涙の止まらないお葬式だった。
何故私は泣いているのか????わからなかった。
お経を聞きながら自分を感じてみた。すると徐々にわかってきた。
私の中に祖父がいたのだ。
大きな存在であったそれがなくなった、とてつもない空虚感を感じていた。
繰り返すが祖父のことは正直、好きではなかった。
なのに私は祖父の通りに生きていたのだ。
祖父の通りというのか祖父の思う通りというのか。
立派なところへ就職し、女だから早めに子供を産み、仕事も続ける。
そんな、はたから見ると自立した女性像というようなものを小さなころから私に提示し続けてきていた。
それが自分の生きる道と思い込んでいた。
小さいころから何の迷いもなく、わき目を振ることもなく、
ただひたすら、いつでも、勉強をそれなりにできるレベルに自分を保ち、
そうすることが何よりも大切なことだと思い込んでいた。
そして結果が出ることでそれでいいんだと自信をつけていた。
それが、「思い込み」と気が付いたのはカウンセリングが始まってからだった。
人生は、白と黒ではないということ。
答えは、ひとつではないということ。
そんなよく言われる言葉を繰り返し繰り返し言い聞かせてくれたカウンセラーさん。
何度も伝えてもらい、気持ちが動き、行動して実感してみると自分にやっと響いてきたのだった。
その言葉を、実感として、認識すると
まだまだぼんやり靄のかかった状態ではありながらでも、
今まで当たり前だと思っていたことが母により刷り込まれた「違和感」や「ゆがみ」というような、
正体はそういうものなのかもしれないということがわかってきていた。
祖父がしてきていたことは、私への「暗示」
母も、同じように私に「暗示」してきた。
母は、祖父のコピーなのだ。
そして
昔の私も、母のコピーだった。・・というのはこの段階ではまだ認識していなかったが。
そんな私に大きく影響を及ぼした存在であった祖父が亡くなったことで、
自分の大半がなくなってしまったのではないか、
そんな気がしてしまったのだ。
信じていたものが、そうではなかったのかもしれないという事実を、
祖父の死によってはじめて突き付けられたような気がしたのだった。
亡くなる=完全に居なくなる ということ。
もう会えないし、何か意見されたりすることもない状態。
その状態になって、互いが干渉することができなくなって初めて、見えることがある。
亡くなって大泣きして気づいた、「祖父のいう通りに生きてきていた」ということ。
生きている=たとえ遠くとも離れていない
ずっと暗示を受けていたならなおさら、その暗示通りに、道を外さないようにと自分の答えを一つに絞って窮屈に歩く。
その状態では、気が付けなかったのはなぜか。
お互いが、依存しているから。
祖父が私を、私が祖父を抱えてお互いがいるから。
祖父の言う通りに生きている最中であって、脇目も降らずただ必死になって辿ろうとしているから、その状態を俯瞰して見つめてみることが全くできていないのだった。
自分のことは自分で気づけないことと同じ。
そして、私が母との関係を、今はまだお互い抱え合っているから、見えていない、というのだった。
完全に離れることができれば、もっと違う角度で、本当の母が見えるという。
・・・そうなのか??
距離を置いて、これだけ振り返ってみている今の私と母の関係。
まだまだこれで依存しあっているというのか。
カウンセラーさんに母とのエピソードを話していると、
「それは本当の気持ちですか」
「そのときどう思いましたか」その言葉にはっとして
自分の気持ち、ではないことを認識する、そんな作業を繰り返している当時。
うーん、そうなのかもしれない・・・と、少し心が揺れるような気がした、そんな2回目のセッションだった。
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