kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

すとんとおちる

この3月ほどAC脱却を願いある方へ相談しておりました。


あるとき急に 脱却したようです。


脱却した世界は、もっとキラキラなものを想像していたけど、
感想としては、
地味に、人間臭い。地味に、悲しい、辛い。


それはそれは急なことで自分も気持ちが追い付かず
今日でやっと20日ほど経ったのかな。


気づいてからはほんとに何をしていても苦しかった。


こんなにも、母のことが
昔は、怖くて、絶対的存在で
今は、おちてからは
ただ怖くて、支配的で、私の今までの人生は母の思惑通りだったということ。
それが、何のフィルターも通さず直に響いた。


母の描いた私の人生を自分のものと信じ、
自分で導き出し、選択し、そこから地道に紡いできたはずの私の半生。


全て、幻でした。悪夢、とは言わないけど。


悪いことばかりではなかった、それだけが救いで
これからの道しるべになる、人、もの、心が私に残っていたことに気づく。



なんなんだろう・・・
偶然が重なって
行動を起こすエネルギーですら持ち合わせていなかった私が、
これまで憧れていたけど時間も信用もいまいちなくて手が伸びずにいたカウンセリングに心が動き、
その相談させていただいた方が自分にとっては自分の鏡のような珍しい感覚をもった(それが演技だとしても演技力半端ないです)、でもとにかくまっすぐで素敵で、無理なくいられる存在で、
しかもその日はいろんなトラブルが重なったにもかかわらず予定を変更しながらもお会いできて短時間お話した、
そのあと。
地震で交通パニックに陥る地元で2時間ほど徒歩で帰っていたら・・・


脱却、していました。その日、その時、突然に。



これまで、5回ほどセッションいただいて沢山ヒントはもらっていました。
「お母さんと距離を置いていていい」
「自分はどうしたいのか」
「何が好きで、何を嫌いと思うのか」
「ポジティブな気持ちと同じくらいネガティブな気持ちも大切にしていい」
「本当のことがみえていないだけではないか」
「どうすればお母さんは変われるのか」
「どうすればあなたは、あなたの家族は幸せになれるのか」
「やはり、完全にお母さんから巣立つべきではないか」
「幼少期は幸せだった、という思いをもっているがそれは誰かに言われてきたことではないのか?」



いつか、脱却できるとしたらこの方と話しているときだろうな・・
と、考えていたものです。
そのくらい、その方の言葉だけではなく、姿勢、表情、仕草、リアルに感じるすべてがいろんなエネルギーとして私の心に、
静かに、でも、強く、
どうにか脱却させたい(あなたの幸せがその後にあるんだよ)と伝わって来ていて、
頑なな私の心に深く鋭く、でも心地よく、伝わってきていたものです。


その日は別れてから
ハプニングがありお話しできた時間が短かったのもあったのもきっかけで余韻として響き続けていて、
そのうえまっすぐ帰れずに2時間余り一人で歩くことを余儀なくされた自分のフリーの心に、
いろんなことが下りてきたように思います。



それからというもの
辛いことが、意外にかなり、強く、辛かったんだ、と。
私、結構いろんなことを耐えてきていたのだなぁと思います。
もちろん自分の課したハードルもありながら。


でも本当は、辛い。
そう、自分の気持ちを肯定できることが大切だったのかもしれない。


辛いんだ、そう思うことで、はじめて息を抜く方法を見つけられる。
そして楽しめる、くつろげる、自分を知れる。


辛いことを認識しなければ、息を抜く必要すら感じない。
楽しめず、くつろげず、自分がわからなかったこの34年。



34年も経過した自分の人生の、残りの半生を
どうするかは、私次第。
やっと私の人生の舵を私が握ることを手に入れたんだと思う。
もう、抱えるものはありながらだけど・・というよりも
それを抱えるかどうかも自分次第でしょ?
抱えると決めたのなら、それが、自分の出した今の答え。


一体、何から手を付ければいいのやら。


今日は、仕事で10年以上ぶりに着ることになった浴衣を買ってみた。
買ってみた というには、3人のママである私にとっては大きな買い物だった。
でも、
少々強引に浴衣を選ぶ時間を作り、
店員さんと楽しく選び、
お気に入りの1着が運命のように見つかり、
帯や下駄も、同じように、運命のものに出逢え、
さあ、これを着てどんな夏になるだろうってワクワクした今日。


こんな気持ちになるのは何年ぶりだろうと思う。


忘れていたもの、忘れていたことさえ気づかなかったこと、気持ち、
それは、誰かのお嫁さんになっても、母になっても、変わらず、
自分だけのモノって思える。
それが、ゆるぎない私。


そんなことを大切にしていきたいと思いながら、
ぼちぼち、まずは、自分探しの旅。


かなりの予算オーバー、でも無駄にはならなかったと思える好スタートを切れました。