父との思い出はほとんどない。
その思い出というのは一般的な思い出。
どこかへ出かけた、
何かをした、
記念日をどう過ごした とか。
そんな カタチ が残っていないことを、
私は長らく、思い出がない と勘違いしていた。
それはなぜだったのかがようやくわかった。
カタチを作る人ではなかったのだった。
カタチはなくとも、俗にいう、背中で語る父だったのだった。
父は、
自由で 仕事も出世コースを選ばない 家族とまともに話もしない
でも
常に目標があって やりたいことを大切にし 言葉少なに的確な助言をくれた。
というのが今やっとわかった私の父親像。
必要十分だったのではないか。
干渉しないから素直に聞き入れられる。
そして何よりも学びの大きかったことは
挑戦する姿、
常にベターな道を選び取ろうと進む姿、
自分を貫き通す姿。
父が父でよかったと思う。