kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

父の姿

父との思い出はほとんどない。
その思い出というのは一般的な思い出。


どこかへ出かけた、
何かをした、
記念日をどう過ごした とか。


そんな カタチ が残っていないことを、
私は長らく、思い出がない と勘違いしていた。



それはなぜだったのかがようやくわかった。


カタチを作る人ではなかったのだった。


カタチはなくとも、俗にいう、背中で語る父だったのだった。


父は、
自由で 仕事も出世コースを選ばない 家族とまともに話もしない
でも
常に目標があって やりたいことを大切にし 言葉少なに的確な助言をくれた。
というのが今やっとわかった私の父親像。


必要十分だったのではないか。


干渉しないから素直に聞き入れられる。


そして何よりも学びの大きかったことは
挑戦する姿、
常にベターな道を選び取ろうと進む姿、
自分を貫き通す姿。


父が父でよかったと思う。

つながっていくこと

きっかけは突然起こるもので


同じ思いの人に出会ったとき、 
そんな人は出会った瞬間に判断できる


この人、おなじ感覚を持っている!!


見た目や性別、年齢は違えど、
少し話すとその内容、選ぶ言葉、表情、声のトーン
そんなので無意識に自分と比較、似ている人と話して心地よさに気づく。



そんな人に出会いやすくなった


というよりも
そんな人の存在に気づけるようになったような今日この頃。



微妙な感覚を言葉なく共有できる喜び。
こんな風に感じているのは私だけじゃなかったんだ!


仲間がみつかると少し心強くなる。
世間では少数派と言われていても、一人ではない喜び。



どう付き合っていくか、
どうその感覚を開花させていけるのか、


時には離れることになることもあるかもしれないけどそれは前向きな別れだと思う。


はじめは違和感があっても、苦手とまで感じていても
変われる人であれば何かをきっかけにふと近づく喜びもある。



共有できたこと、
そこで気づけたこと、
次の自分の姿、
大切に抱きしめながら、偶然のもたらしてくれた出会いに感謝して進んでいけたらと思う。

人と自分

人と関わるとき、
とりわけ同じ場所を共有して話しているとき
人は自分の鏡だなぁと思う。


伝えた言葉を介して、
言葉だけではなくニュアンス、表情、声のトーン、
いろんな刺激をリアルに受け取って、
周囲の人に影響を及ぼす。


そして、
その人の反応が、また自分に跳ね返ってくる。


心地よく思ってくれているときのうれしさっていったら!!


いい、影響をあたえられる人になりたいなと思う。