kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

雨って悪くないなー


昔からそう思っていたのに
なぜか周りに合わせて雨うっとうしい!という自分。



ふと、思い出す。



なんで、感じたことを自分は言えないんだろう。


もちろんその場にある空気を壊したくないからというのもあります。
例えばママ友と送迎中の会話。
そう言って気を紛らす、というのもお互い大切というのはあります。


でも、それが私の場合度が過ぎているんです。


例えば、家族間の会話。
いつも私は、母に共感していました。
本当は共感していなくとも。


いや、共感をしているかどうかすらさえもわからないくらい
自分の気持ちが見えなくなるのです、母といると。
母に、共感せねば。
母の機嫌を損なわないように会話せねば。



降るたび、雨うっとうしいなー という母。


雨は、うっとうしいものなんだ。
きっと、いろいろ生活がしにくいから。
洗濯できないし、買い物にも行きにくいし、出かけたところで服が汚れる、洗濯できないのに・・・
傘も濡れて手入れしなきゃだめだし、タオルも持っていかなきゃだし・・と諸々。
これって生活中心の考えなんですよね。


子供の頃の私は、雨でどこにも行けない日は、部屋で、
雨の音が強くなったり弱くなったりを聞き、
雨が地面やベランダにあたってはねる様子を見つめ、
今、鳥や虫たちはどこにいてどうしているのか?なんてことに想いを馳せては
ずっと楽しんで雨を眺めているような子供でした。


この数か月でそんな自分だったことを思い出し、
それが意外と悪いことではないことにも気づき、
生活や現実に追われていただけの毎日を
すこーしだけ俯瞰して見れていたりすることができ、
そんなことのできる時間がとっても心地よくなりました。


ほんとに、子供に戻ったような感覚でいられる時間。
それが、生活の一瞬だったとしても、十分満足のできる自分だけの世界。



雨一つにしても、
こうして思える感じれる自分を大切に育ててゆこうと思います。



ただ今回の雨は大きな地震の後の、長引く大雨。
こういうのって何かのサインかのように、一部の地域に、立て続けに起こります。
土砂災害、河川の氾濫など、今の私たちにとっては自然との共存の難しさを強く教えてくれる現象です。
人間として言えることは、ただ、大切な命が、消えることがありませんように。