kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

本質って見えないもの

ないものをあるようにして
見て


あるものをないようにして
目を伏せて


ぜんぶ、ちぐはぐだったのかもしれない


というのは


見えないものを存分に感じることを
可能にする時間を、


偶然にも与えてもらった自分の見えてきた景色なんです。






んーーーー
ここから、さて、どうしてゆこうか????


人生、38年過ぎて
多分、うまく見積もれば
ここから、まだ倍くらいいける可能性だって
あるのかも、しれない今、気が付きつつ
この気づきを背負いつつ生きるっていうことは?????




答えはきっと、
みつからないまま、違う世界に
いく時がくるのだろうなぁ







不安もありながらだけど
この目では見えないものを、
もしくは気づきながらも
敢えて蓋をして見てこなかったものを、




これからの自分の意識の操作によって
見て、知って、
そうしながら生きてゆける


・・・可能性もあるのかもしれない



なーんていう・・・・感覚な、
今日この頃です。








肉体をこうして持ちながらも、


生きる意味を
感じ取れる


のかも、
しれない、


という


生きるという趣きへの
微かな、微かな、
それすらも
幻かもしれないけどと知りながらも
幻の淡い静かな期待に
少し踊らされながらも



同時に感じている



ひょっとしたら
その幻の淡い期待でさえ、


自分の状況や、環境、また、思考、感情
を受け取りつつ
磨こうとしている


リアルな一瞬一瞬を紡いでいる
その瞬間の


自分自身の”透明度” に よって



幻の淡い期待というものは
あたかも容易に
覆されてしまうかもしれない





自分をクリアにしておくという
大切なファクターが
自分の内にこそある



ということを



頭ではなく
身体でもなく
すべてにつながる
”全体”と直接関わっているということを


受け取ってしまったなかで


これからも
社会の中で生きてゆく



自分しだいで
生き方を
自由に選んでゆけるなかで
では、どうするのか?ということが


一瞬一瞬に
降り注いでいるという真理に
対峙してゆく という覚悟




・・・・・・・・・・かな