kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

空白を作ること

最近気がついたこと


自分の中に空白を作っておくこと
常に、幾分かのスペースがいるようだ


それは、突然何かが起こった時に対応するための余裕ではなく


何も目論むことなくただ、空けておく



空けておくことで
自然と周囲から入ってくることがある
そんな感覚を、最近感じている



そういえば昔からなんとなく空いたスペースに入ってくるものは
いいものばかりだった
自分にとって、自分をより良くさせるもの


余裕を作ろうとして作ってしまうと
何でもその隙間に入ってきてしまうから
余裕ではなく、ただの 空 であることが重要


余裕と空の違いは難しいけど
自分の中では意識して作り出したものか、自然とできたものかの違いと捉えている



私の場合の空は 
見えない何者か、何かを強く思う、感じる時に
自然と生じてくるもの


見えないものに意識を向けているから
意識も、普段ある”思考”から自然と飛び出して
見えない”無意識”へと飛躍できる
そんなイメージで捉えている


神様にお祈りするような、亡くなった人を感じるような
そんなイメージに近い


自分の中の自分、自分を守ってくれているもう一つの自分
果てしなく広く広がる世界、宇宙
そういったものをふと感じる、毎日、少しずつ、定期的にそれは訪れて
去っていってもなんとなくほっこりと優しく穏やかな感触が
私という人間を包む


瞑想 っていうのは意識してしたことはないけれど
きっと意識的にそういった時間を持とうとするのが瞑想なのだろう



不快を感じているとこの境地にはたどり着かない
頭痛がしたり、身体的な苦痛や
気になることがある精神的な苦境


あと
不快と感じていなくとも
興奮するような状態でもだめなようだ
何かに取り憑かれたかのように次々と動いている時


ただこの興奮状態というのは
何かを現実的に成し遂げる可能性を広げている時なので
不快な状態とは違い、悪いものでもないのだろう・・・
ただ自分には欠如している部分でもあるんだ


興奮して何かを動かそうということにはなかなかなれない
でもいつも空を作って受け取るのみでは現実は変わっていかないのだ
こうする方向 というのは見えるのに
そこへ進もうとすると空がなくなるから方向がわかんなくなってしまうというジレンマ



じゃぁ複数の人でこれらを循環させることができたとしたら?


Aさんは空白を作り 何かしらのメッセージを受けている
Bさんは現実的にあ次々とチャレンジを重ねていく
Aさんは現実的には動いていないように見えるけど進む方向は分かっている
Bさんは何も見えないけれど動かすエネルギーはたくさんある


このABがズレることがなく融合できたなら


何か大きく変わるのではないのかな


ずれることがない というのがポイントで一番難解な部分
ズレない人 というのはなかなか巡り会えないし
そもそも人生ずっとズレない人というのはいないのかもしれない


その瞬時瞬時に波長のあった人と
循環させることができて
お互い高められたのならそれがいいんだろう
それが続くことを願わなくなる時もきっとお互いやってくるんだろう
だけどお互いに訪れるから無理なく離れられるのだと思う


それほどにズレない人と巡り会えたら
何かを変える力になれるのかもしれない