kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

意識的に生きる・・身体を含めた実感

昨年末に
一昨年からとある体に向き合うセラピーで
長くお世話になった先生から
オーガズミックセラピー?だったかな?のやってみませんかと


そんな
不思議な名前の付いたセラピーのモニターのお誘いが来て


ちょいと
そのワードが気になっていたものの
怖いなぁとも思ったものの


知らないから、怖いのだ 
という割り切りと
何より
その先生の、絶大なる信頼というのがあって


まぁモニターだしお得かなみたいなとこもあって(笑)
飛び込んでみた



その先生のお世話になっていた体のセラピーというのは
私が体に向き合う意識を作ってくださったセラピーで


先生は
真面目に体に向き合ってらっしゃって
嘘や盛ることもなくただ
まっさらに突き詰めていく姿勢


それはほんとに
感銘を受けるものがあって
間違いなく”本物”を提供されている方だ
と、
友人と偶然誘われたイベントで出会って
すぐに直感でピンときたので
何の迷いもなく
半年ほど、通った


事実、私の体はみるみる
柔軟に、そして”扱える”体に、変わった
体も変わったし
私の体への意識の方も
”自分の体が愛しい” と心底思えるようになり


意識まで変えられた
その先生の身体へのセルフメンテナンスを伝授してもらったという
経過があって



・・・そう、そういった信頼のもとがあって
受けることをためらわなかった
ただ、名前だけ見るとどうもちょっと怖い感じのする
不思議な名をつけられた"オーガズミックセラピー"


受けたときに



うわーーーっと
涙が出た




それはほんと
私にとってはオーガズミックはなんていう次元にはとうてい到達できず・・
というのも、


そこへ至るまでの過程にある
自分に恐ろしいほどに積もっていたブロック、負のエネルギー、
意識したこともなかった分野


そこで
十分エネルギーを使い果たし
オーガズミックのオの字さえにも
たどり着くことがなかったのだ


セラピー中
そして終わってからも
気づきは連続して
起こり、その連鎖が今日まで



今日こうしてやっと文字に起こせるくらい
ずっと
その体験が、数十分ほどの2か月ほど前の体験が私の体に
残って、
声をかけて寄り添ってくれていた
そんな優しいエネルギーだった



自分の宿っている、この肉体
その内側を、
ゆっくりじっくり丁寧に
眺めてくれて、共感してくれて
微笑んでくれていた
そうして無理なく解放に向かわせてくれていた


そして体は癒されて
ただ、ただ、浄化をし続けていた
丁寧に
その体験が引き起こしたエネルギーが


ずっと私の内側に確かにあって
ゆっくりゆっくり急がず
ペースさえも私に合わせてくれる、
やさしいやさしい
そのエネルギーが回っていて



あーなんていったらいいのかな
どうやったらこの感じが吐き出せるのかな・・
今、気づいたというか言葉にできることって


身体、すごいなって
こんなにタフで
たくさんいろんなものを溜め込んじゃって
そんなことがわかって
健気だなぁ って



普段
身体は自分の持ち物であるように
当たり前のように
駆使していたけれど


身体は
ほんとうの私では、ない
なのに
私に同化して
私に寄り添っていてくれた
今もこうしてものを書く手助けもしてくれる
この世界で私をどんな方法でも表現させてくれる


これまで
抱えてきている感情さえ
どんどん膨らむごみ置き場のように
どこにもやりようのない感情を溜めさせてくれて
そういう方法で
私の傷を肩代わりしてくれていた



オーガズミックセラピーは何なのだったのかっていう話
多分
本来は
自分で自分を最高の状態に導いてくれるもの
なのかな と思うのだけど


そこへ行くには
まだまだ遠い私にとっては


身体の浄化でもあり
身体というのはここまで深く
感情の貯蔵庫のように
感情を際限なく受け止めてきた、
壊れそうにも何度もなっていただろうに
それを私にしらせることもなく
ただ毎日
忙しく
私の体を維持し続けていてくれていたんだ という


気づきを与えてくれたものだった




同じことはできないのかもしれないけれど
分野はちがうのかもしれないけれど
いつか
そんなエネルギーを生み出せる何かの方法を
私も
使えるようになれたらいいなと思う