kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

私の役割

役割なんて言葉は
いらないと思っていた


家族の中の役割
仕事の中の役割


その 役割という枠組みに縛られて
自分は一貫しないという状態を認めてしまう
場所によってコロコロ変わるのが当たり前。


さらに
上司に遠慮したりで自分の本当の力を発揮できなかったり
世間や家族から求められているいいお母さんという役割を演じ続けてしまったり


それでは自分を信じることなんてできないから


自分はただの人間で
それは誰とも同じでなくて
いびつでもあって
綺麗なものでもないということ
醜い部分だってたくさん抱えている
だけどそれが自分だということ


だから
役割 は不要、と思っていたのだった


ただそれは小さい世界に限定した役割のことで


大きな大きな世界を見たときに
私の役割は
あってよかったのだと思えた


私の役割は
この、『小さい世界に限定した役割はいらないとわかっている人』であるということ


こういったことをわかっている、
誤魔化さないで貫いていく、
それがこの大きな全体世界での役割なのだ


そう思うと


役割という言葉も意味を持つなぁ



私は私。
非常に、いびつ。
言葉で説明されただけの関係性なんかが全く理解できない、
小学生以下かもしれない。


歴史上の人物とか時系列の説明
ニュース番組の報道


それが、多くの人に与える印象をまるで想像できないのだ。


だから興味もないし
だからこそ、自分の集中できるというメリットも持ち合わせている


ズレているからこそ
ズレてしかわからない部分は鋭い


歴史上に何が起こったかはわからないけど
一部を物語で見ると感情移入してどんなに素晴らしい人であったかということや
社会問題を映像で見て見えるものは
その人の感情、無意識の中、背後に隠れている人物がどういう人か ということで


あっているか答え合わせはしないしできないけれど
ほぼ私の感じたものに近いものであろうという確信がある


それをエンターテイメントとして楽しむこともないけれど


多くの人のそんな微妙な部分に触れられることは
自分にとっての真の居場所が見つかったら・・
そこでは
十分に活かしていけるのではないかと思う