kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

うちなー旅④

不思議な場所。


帰ってきてもう3日経とうとしているのに
まだまだエネルギーがみなぎっていく


帰ってきてからいろんなことを感じてもいる


信仰心の深い場所だった
島国独特、それも本土ではないからやっぱり濃度が濃い
戦争のあとでこんな風になっていても
まだまだ残る風習


特に集中攻撃のあったことを考えると・・
信仰心が怖かったんじゃないのかなとも思う。
信仰心のある場所ほど、征服するべきと考えるのではないかな。


人、ひとりのエネルギーというのか、気というのか、
ひとりの持つパワーが強いんだと思う。
そして、信仰というのは、心。
支配と対極にあるもの、支配者が嫌うもの。


この今の時代でさえ、
土地も、人も、エネルギーを感じた。


きっと70年余り前のうちなーは
想像できないほど強いものがいたのではないかと思う。



そして愛のある島だった
あらゆる看板には駄洒落、
看板代わりの巨大な奇妙なモニュメント
そういうのが好きな私は発見するたび笑わずにいられなかった
そして、笑うとやっぱり。
自分が元気になるのがわかるんだよなぁ・・


笑いをとろうとしているユーモアに
笑ってまた幸せ、みたいな
いい循環がそこら中にちりばめられていた


とある漁港では、漁港なのに、子供たちのために敷地の囲いをゲーム盤に加工していた
とあるスイーツ店では、スイーツ店なのに、動物園になっていた


京都では絶対にない発想。


「お子様へこちらをどうぞ」なんて言いながら
座って遊べるおもちゃを渡す。
それって・・建前だよねぇ
空気を乱されたくないから、子供はこれで遊んどきぃ、みたいな
親に媚び売って。


きっと、ほんとはそうじゃない。
子供だって同じ空気を味わえるようにするべきなんだと思う
うちなーは、大人も、子供も、満足できるような
そんな気遣いがたくさん。
これこそ親子でHAPPYなんだと思うなぁ


そういえばお参りする場所もそうかな・・
京都では格式高く、たくさん観光名所となっているけど
どこも体裁を整えたり、見た目にこだわりすぎていて
中身だけで勝負するところってあまりない・・
いや。あるのかもしれないけど、なんせ有名どころが目立ちすぎていて
有名なところ=いいところ のような雰囲気。


うちなーは、ビーチの横にひっそりと佇む御嶽、
何気にある雑木林なのに雰囲気があるなぁと思えばそんなのがぽつんとあって
飾り立てずに、その姿のままで、ただ、或る
神聖さがわかる人にしかわからないような、そんな質素なつくり
だけど
私、こっちの方がより深いものを感じる。
私にはわかりますよ と思う
ここで、かつて何があったのかなと想いをめぐらす。
そんな時間が心地よかった。