kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

何でも食べちゃって自分の一部にしてゆく

目の前に起こること
沢山動揺させられているなぁって思う



目の前の出来事って
ぜーんぶ
自分を試されているのだなぁって思う



その出来事に対する対処法は無限大に様々で
正解なんてない


だけど 
仮に
正解があれば
悩むことも気をもむこともなくって
精神的に楽なのだ


だから
とりあえず
正解 らしいきものを求め、自分を納得させたかった




”常識的に考えてこうだから”って
よくわかんない言い訳を
集団という大きな力の中で作り出して


その常識的に正解らしいと思える
多くの人が集団的につるんで
合理化され導き出した”正解”と呼ばれていそうな認識を


自分に当てはめて
自分を理屈で納得させて
やり過ごす っていうことを
ずーっとしてきていたなぁと思う



自分は
世間一般的に常識的な人間だとおもっていた
間違いなくそうだと思っていたし
自分の感覚に不安だったから
ますますその常識に染まっていることに依存していた


常識の中に自分がいるということで安心していた
だから
その 常識の枠から外れることが怖かったのかな




常識 が自分には通用しないと思ったのは
まぎれもなく
長男
長男は私に覚醒を与えてくれた大きな存在


普通の赤ちゃんみたいに
寝ない


普通の赤ちゃんみたいに
ベビーカーに乗ってくれない


普通の赤ちゃんみたいに
指さしをしない


普通の赤ちゃんみたいに
話すことをしない


そういった個性に
一番身近な彼のそばにいる私が
一番気が付いていたし
気が付くたび
毎日毎日
不安だったなぁ


誰にも言えない、
この子、普通じゃない気がする なんてこと


そして
言ったところで
旦那も親も
”そんなことないよ”
”いつか治るよ”


そうじゃないことがわかっていたので
きちんと
診断なんていらなかった
自分がわかっていたから


そして
どうやってこれから生きていこうかなって思ったから
それが不安だったから
正直にカミングアウトするのに
カミングアウトさえ
受け容れてもらえない
私と 長男  だけの
常識から外れていたっていう
あの
家族からの疎外感


今思うと
そこが一番つらかったかなぁ



”他の子とは違う” ということが不安で
認めてもらえないだなんて



今思うと
”ほかの子とは違う”なんて


当然だろーって思うんだけどね
”どの子も全く違う”んだから


まぁ
間違いなくそう明らかだと思えるこの今まで
10年以上もかかっているんだけど


そうやって
10年以上 
微妙な不安や周囲との関わりの違和感を
そのたび
咀嚼し
それはそれは苦くって苦しいんだけど
それでも咀嚼し続け
そしたら
いつかは
呑み込み
消化し
自分の中の一部にもなり得るというのを
よくわかった


ゆっくりゆっくり
自分の中で 経験を通して
腑に落ち認識したことというのは
世間的な常識とは全く違って
納得するのに時間はかかるけれども
一度わかると
全てが説明できるほどに
自分の中では
確固たる事実



うちの3人の子供だけを考えたとしても
彼たちは
明らかにそれぞれ違う
そして
それが、医療的診断の枠かそうではないかというだけのことで
皆違うということは同じで
それは
あらゆる人間に当てはまっていること


それを
認めてもらえない
特に
身近な人間に
大切な人に
認めてもらえないということが
一番の苦痛



もう今は私の一部だから
それも私の一部として
長男との将来のことだって人生の一部から外せないこととして
過ごしているし
まぁ
まだまだ苦いことも多いのは事実だけれど
だけど
常識ってなんだっけな???みたいな
常識の枠だけにとらわれている
常識の中にいることに依存している自分ではもうないから



もうそこは


常識を踏まえつつも使いこなしつつも
乗り越えてゆく生き方というか
その答えや可能性は無限大って感じで
進むしかないのだけれど


まぁそれにしても
咀嚼はおいしいものではないっていうことかな
違和感があるゆえ
咀嚼するんだし
こうして10年以上かかることだってある


今回咀嚼できたのは
子供という大事な人の存在だからなのかもしれない


大事と思える人というのは
とっても
そういう意味で
自分を成長させてくれるものだなぁ