kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

何故西洋占星術をしているのかっていうこと

星が好きだったということがきっかけなのは確かだ


でもそれだけじゃなくって


私にとっては
”占い”に対しての認識が変わるほどの
内容を持つということだったのだ



それはエネルギーを知る手掛かりになるということ


エネルギーというのは
私たちに
確かに内在し
バランスが良ければ
外へ外へとその影響を放っていけるのだけど


バランスが悪いとたちまち見えなくなって
いろんなところにサインとして
エネルギーを気づかせるためかのように
活かして生きようとさせるかのように


私たちへと知らせ表してくるものなのだ


身体へのサイン、心へのサイン、起こる出来事としてのサイン・・


そのくらい
非常に重要なものなのだ




私の思っていた占いというのは
”未来を当てるもの”だった
だけど
今の感覚で言葉にするとしたら
”自分に内在するエネルギーを知るヒント”と思っている


自分 という ある意味
とっても万能な機能を併せ持たせてもらえた”人間”が
今この時代に生を受けて
同時にその体の内側に
どういったものを持って生まれたのか
自分の渡されたギフトが占星術でわかる



占星術には
”生まれながらの可能性”をたくさん詰まっていて
まずは読むことで
ぼんやりとその輪郭をとらえる


その輪郭をヒントに
自分の意志でもって
存分に咀嚼しながら、意識下へもっていくことで


自分の意識と行動と生きて経験することにつなげてゆく
そして
自分の輪郭がもっともっとはっきりとして
自分という形になってゆくものなのだと思う




”自分”像が全く見えなくなった祖父の死から
私の、丸2年以上もかかった
”自分探し”


必死に探して心地いいものを見つけ、拾い集めて
取捨選択を続け
やっと、
自分というのはこういう方向の人物なのだとわかった輪郭、
新しい”自分”



この新しい自分を
占星術と照らし合わせた時、


出会って10分程の、
先生といえども”他人”は


2年かかって私のやっと捉えた”自分の輪郭”を
すぱっと
短い必要最小限の言葉で言い当てたのだ



そして今
少し勉強して、思うこと
私のネイタルチャート=出生図は
本当にその自分らしさが一番派手に出ている


さらに
読めば読むほど、
あらゆることが顕著に表れているのだけど


それにしても


自分が空っぽになってわからなくなって
そこから
いろんなことを体験し、取り込んで
獲た感覚から拾った”自分の輪郭”
そこにかけた労力というのか、時間というのか・・
それを
出生図を読むだけで
こうして一瞬でわかってしまうほどの正確さをもっている




このブログを書き始めた頃
自分が空っぽになって
どうしようもなく不安で


自分の認識できる限りの思い込みをリセットして
そこから
自分らしさを探して探して味わおうとした


そうして生きようと姿勢を変えたときに
目に映る景色があまりにもきれいで
なにか残したい と思って書き続けてきたけれど


そうして綴っていた内容の軌跡を集約すると


出生図に詰まっていた私の”エネルギー”そのものを体感していた、
その連続。


私は自分のエネルギーを確かめるかのような行動を
繰り返し繰り返ししていたのだった


”本当の自分”を探し始めて
模索して寄り道もして
とにかく自分を精いっぱい味わおうとした


そういった姿勢さえも
出生図に盛り込まれているし


さらにいうと
一度空っぽになって
リセットすることですら
出生図に入っているプログラムだった




そういったことがあるゆえに
改めて
昔から受け継がれてきているこの占術に
なんていうのかなぁ・・
感慨深さというのか深みというのか
色鮮やかで人それぞれの違いもありながらも
深みや奥行きのあるものを感じるのだ


人間を2次元に一番単純化して落としこむと
こういうことになるっていうことが
この2次元の 出生図


出生図は
自分とも共鳴していて、
さらに
自分の体全体、自分の手のひら、と小さいコスモスにも
そして
自分を取り巻く社会、自分の存在する宇宙
全てに共鳴していることを
私はこれまでのいろんな分野の学びとともに確かに、感じるのだ


ぜーーーんぶ
つながっている