kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

”幼いわたし”は”ずっと連れ添うわたし”

占星術を勉強して思うこと
幼い自分は
いつも自分の行動や感覚の基盤になり
それが大きく関与するかしないかに関わらず
とにかく
ずっと連れ添う ということ



私の3人の子育ては
幼い頃の私への癒しに
ずいぶんとリンクしていた




一人っ子だった影響もあってか
小さいころから
私は3人子供をもつ!と決めていた


そして
実際、一人目の妊娠のわかった時の高揚感っていったら
半端なかった


そこから
まるで
自分の幼い時代をやり直すかのように
自分の子へ想いを馳せて子育てしてきた


その繰り返し
仕事をしながらもちろん大変だけど
仕事への情熱はそこそこに
子育てに没頭していたと
今になって思う


時間は限られているけど
心をよりそって紡げることは無限大と信じていたし
その限られた時間だからこそ
子供たちに必死に向き合っていた


それができたのは
自分と向き合うためでもあった



幼い子供と向き合うようにして
自分の幼い頃と必死に、向き合っていた


向き合う中で
幼い頃の自分は
こんなにも求めていたことがあったのだということを
ありありと感じ
同時に
それに応えてもらっていなかった記憶を呼び覚ます


そんな連続だから
しんどかったけど


母にさせてもらえた自分が
子供の心の動きを感じ寄り添う という行動を続けることで
なんとなく自分の古い傷口が疼きもしながらも
自分の中にいつもいる
幼い自分がどんどん癒されていた



こうやって構ってほしかった
こうやって見てほしかった
こうやって言ってほしかった



そんな、幼い頃の私に気が付き
それを今の私が代わりに満たしてあげるような感覚で
私の子育ては毎日紡いでいたのだ



それが当然だと思っていたけど
ちょっと、違うのだろうな


ちょっと、歪んでいた
今はそう思う



子供たちは大好きだし
わけもなくカワイイ



だけど
子供へ向き合おうとする私の必死な姿勢は
目の前の子供に向けているようで
実は
その奥にある、自分にしかわからない、幼い私 に向けたものだった



そんな風に過ごして
11年


今は
幼い、小さな自分はぐんと満たされ癒されて
もう、何も欲しがらない


かといって
子育ては終わらないしそれに変な感じはしないけど


その奥にある幼い自分を癒すという過程はどうやら終了して



ちょっと、自然になったような感じ


態度は相変わらずだけど
子供の気持ちに寄り添いすぎる癖をもつママではあるけど
必死ということもなくなって
ちょうどいい加減 と思っている



幼い自分が癒されるということを
選択してそう決めて行動していたのだ
だから
今 私は強くなったし
誰かに癒される必要もなくなって


自分が、自分を、癒した
子供たちを鏡にして、子供たちを通して、そうしてきた


歪みはあるけれど
そういう方法だってあったことは事実で


自分が癒されたのだからそれでいいのだと思っている




時間はかかったけれど
まずは癒されたので
ここから育ててゆくフェーズに入ったようだ


どんどん、自分をやり直す
どんどん、可能性を秘めた私を育ててゆく