集団の良さと違和感
集団にいる人>集団から外れることを選ぶ人
組織の中の力
属する人数
圧倒的に少ない、外れる派。
どこでそうすれば心地よくいられるのだろうかと考える。
居場所を変えてみる。
集団は居心地がいいようで、同時に自分をかき消される。
孤独は自分を貫き通せるが、時折さみしくもなる。
嫌なことに気が付くのも孤独。
一方、集団でいるとごまかせるので現実逃避もしやすい。
群れてしまえばそれでいいのだと錯覚さえ覚える。
そんな構図から集団を選ぶ人が多い。
そして見えなくなるものを増やす。
それでいいのかと自問自答しかけてもまた群れて気づかないふりを続ける。
時にはそんな愚痴をこぼしあい慰め合う。
さらには人の悪口を言い自分たちを正当化する、
仲間意識を深められたかのような気になって満足する。
そんな集団は不要だと気づく。
では孤独で。
何ができる?
子供たちに見せたい世界へ変えていくには人数が必要なのに。
孤独を貫き通している人に出会い、そこへ巻かれ強く意識を持ってついていければ。
孤独を貫いていても従わせることなくそこへついてきてくれる人がいれば。
少人数ながら、一人ではなくなる。
まずは自分が貫いてみることが必要なのだと思う。
誰かがついてきてくれるのか、
ついていけそうな気持ちになれる誰かに巡り合えるのか。
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