楽観主義にものすごく救われる慎重主義の私
相反するものに
ちょっと苦手意識を持ったりするけれど
結局
自分にないものをみせつけてもらうことを
ただ 受け容れる
っていう
自分のエネルギーの満ちた
余裕のある状態だと
その
相反するものは
自分の世界を
どんどん広げてくれる貴重な存在っていうことに気付く
私で言うと
私は
慎重、忍耐、苦労を敢えて経験したい
そんな
重苦しいエネルギーを
生まれながらに持っている
そして
それを悪いものでなく
ただありのままの自分として
なんとなく
小さいころから受け入れているのだけど
だからこそ
真逆の”楽観主義”に
ずっと
抵抗感があったのだった
それって
自分の価値観の中にしか生きていないという
もったいない生き方をしていたっていうことなのかもって
最近
気付かされた
そういった
考え方って
素晴らしいものなのだ
私にはない
素晴らしい
他人の受け取ったそのエネルギー
抵抗するのではなくって
ひょっとしたら自分に見せつけられることで
自分のキャパが増えんじゃない???みたいな観点で
受け取れると
とーっても
自分の人生の充実感になる♡しあわせ
個人の持ったエネルギーというのは
必ず
誰かの
何かの役に立つっていうことかな
なんて
楽観主義の人のエネルギーを
観察させていただけると
自分にもとってもいい影響をいただいたことがわかる
本来
そうして
自分の個性、
自分のエネルギーを
どんどん
周囲にひろげてゆくことで
自分も 他人も
気付き
可能性がひろがってゆく
のかもなんて
そうだとしたら
なんて素敵なこの世界なのだろう って思う
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