kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

他人の言葉は鏡

「他人の心を開いて話を聞きだすことができる
そういう能力がある」



おっしゃっていただいた
私・・


ちょっと、縮こまりつつ
んーーー
ほんまかいな 
とも思うのだけど



たしかに・・・・
自分の中で認識していることと一致するのかも


他人のお話を聞きだすことは
意図せずやっちゃうし
それをすることが
とっても楽しいし
お互いのお互い自身のいい循環につながると
本気で思っているところがある


まぁ一対一の関係でいられる時という
条件つきの中でのことだけど ね




ということは
ある意味で
一対一という環境を整えることさえすれば
そういう”才能”が開花しているのかも?????


なーんて^^



甘ーい甘ーい可能性を私に与えてくれたのは
他の人 だった





周囲の人は
私に
沢山の気づきをくれる



私はどういったことに対して
ブロックがあるのか
嫌悪感を抱いてしまう癖があるのか
喜びを感じ取るのか
自分と共鳴する振動を得るのか



ぜーんぶ
自分だけでは
なかなか
たどり着けない


自分の本質




そこにフォーカスしてくれるのは
まぎれもない
他の人 
肉体をもった人




なんか
そう考えると
自分を含め
人間の
出会ってもいない 関連さえもないような
全部の人たちが


とーっても愛おしくって仕方なくなる



不思議だなぁ



ぜーんぶ
嫌って思っていた
昔の自分
そこから
こんな景色に変わってしまうなんて


想像さえもしなかった
だけど
そう
想像し出してからすべてが変わってきたのかも




私たちの
人間の脳というのは非常に高度にできていて

巧みにそれを操るけれど



想像し
創造することにつなげてゆくことのできる
無限大のツールが
私たちの頭の中の
脳 に凝縮されているのだろう




身体と
心は
神秘だらけだ


神秘というのは
無限大に
拡大、発展、伝染してゆく可能性がある
そして
その可能性を真に信じられたときに
可能性は可能になるなぁ
と思う



酔った人の言葉みたいになっちゃったけど
極めて真剣




なんか
最近は
いろんなことが
”愛おしい”に尽きる



だからかな
幸せ を感じ味わい尽くしている




そんな
今のわたし


これから
何ができるかな






甘んじることなく
チャレンジをしてゆこうと
前に進もうと企んでいる