kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

頭の使い方

心は豊かになったけれど
体はどうなんだろう


好きなことをできているのか
体の欲求に応えられているのか
・・・
なんか今ひとつ、頭を使えないでいる自分に違和感があった


ずーっと私には
好きな人に好きと伝えていくっていう自分の課題があって
ちゃんと伝わっていないんじゃぁそれは
いくら言葉で好きを言ってもダメで


工夫して
届くように


赤ちゃんに言葉が伝わらないから
抱っこするのと同じで


子供もまだまだ
抱っこが必要だし


大人だって
抱っここそそんなにしないにしても癒されることが必要なんだろう
それが好きな人にしてもらえたら
どんなにパワーがみなぎるだろう


それができる私になるためには


まず
好きを感じれるようになること
どのくらい好きなのか


そして
それを恥ずかしい感情に邪魔されずに
きちんと、相手に伝えられること


言葉でもいいんだろうけど
私は語彙力が乏しいから
表現かな
態度 表情


そんな風に
伝えられているのかな


どこか固くなっていないかな
頭とか・・


そう思うと
頭を固くさせることがなんとなく怖くて
自分が自分でなくなってしまいそうで
頭を使わず、考えないようにしてきていた



人間という生き物として生まれてきて
能力が豊かだけど
注意散漫になりがち


たくさんのことをできるけれど
自分は、好きと言うことを好きな人に伝えることを
大切にしたいなぁ


固かったらほぐす
心も、体も まずほぐそうとしてみて
大体の固さは自分次第でほぐせるはず


そうしたら次は伝えていく


心も、体も
目一杯使うんだ
体には頭もそのうちに入っているけど


心は自分だけのもの
頭を含めた体は人と関わるためのツール


心が自分のものになっていれば
頭も快く人のために使える


心は自分の心地いいところに置き続けて
頭含めて体は好きな人のために使いきるんだ


心は好きな人に明け渡さなくっていいけどね
心は自分でしかないから


明け渡しちゃいそうにもなるけど
そうすると好きな人が好きでなくなっちゃうから困ることになる
でももうそれはわかった 
依存とか支配とかいう、いらないやつ


そうやって
心を自分のために
体を好きな人のためにという区別ができること、していくこと
そうして紡いでいくことが私の生き方なんだなぁとやっと気がつけた


頭がずっと置いてけぼりだったけど
頭を自分のために使おうとしていたから
それは嫌だったから、使わなかった
だけど違う
人のために頭を使うのは私、心地いいんだ
だからそうして使っていく


要は使い方って言うだけの話


当たり前のことなんだけど
なんか気がつかなかった


考えるな、感じろ は
自分を対象にしてなんだよね


人に何かを伝えたり共に生きていこうとするには
感じながら、考えろ だね