kokorononekkoのブログ

自分が裸になることで見えてきた景色たち

憧れのひと

中学生時代に夢中になったアーティスト
JUDY AND MARY 
大好きだったYUKI


テレビの中に映るYUKIは
いつも屈託のない笑顔で歌い、踊り、喋り、楽しくしていてて
だけど彼女の詩は
微妙なニュアンス、可愛い表現。
たまらなく大好きだった


同じ女の子なのに誰の真似もしないでいる彼女。
どうしてこんなに自由に、可愛く、堂々としていられるんだろう・・・
私は絶対にこんな風にはなれない。だけどとっても魅力的な憧れのひと。



高校生になり流行っている曲を聴き過ごすようになった。
ストレートに感情を表現する彼女の歌を、
切なく思い、でも、ストレートすぎて当時の私にはまぶしくて、
こんな表現を表せる彼女のことを応援している自分が
なぜか恥ずかしいことのように思えていた。
いつしか彼女を応援することは心のうちに秘めておくようになっていた。


けれど社会人になってからも
時々巡り合う、自分の本物の感情に向き合わざるを得なくなるときには
彼女の曲を聴いて過ごしていた。


励まされ、癒され、心がほわんとあたたかくなる彼女の歌。


強く、優しく、なのに時折、弱く、狂おしい自分がいることを
彼女の歌を聞いて感じながら
日常生活ではそんな自分を出してはいけないと心の奥底に追いやって生きてきていた。


そんな自分の感情全てを受け入れる準備ができていなかったから
肯定、前向き そんないいところだけを人前では見せて
そして疲れて
でも決して弱気な自分はダメだから誰にも見せない 
そう無意識のところで決めて生きてきていたように思う。



ほんとは ぜーんぶ そのままでよかったんだ


ダメな自分もいる
でもそのダメは本当は自分でダメとジャッジしたんじゃなくて
誰かにダメと言われて、どこかでダメと聞いて、
自分の基準じゃなくて 一般的にダメということというだけで
ダメ ではなかったっていうこと


本当の自分はいろんな自分を含めて認めていられるおおきな自分だったんだ


そこにダメなんて言葉はない


私が、したいから、そう思うから、すべていいの。
正しいか、正しくないかじゃない
わりきれない思いや迷いや葛藤やいろんなこと持ち合わせている
それはぜーんぶ、私なの。


足りないものもないけど満たされていることもない、もっともっともっと!
今の自分はこんな色。そう知っていく。


目を見開いてもっともっと不安定な自分を感じていくの
それは、こわいことじゃなくて
味わいのある道のりだったの



そう思って暮らせるようになったら


なぜかあこがれのYUKIに近づけていたみたい・・そんな気がするし、きっとそうなの。
彼女のことが近く感じる。
彼女のようになれないんじゃなかったんだ
彼女は彼女、私は私で
きっと、目指すもの、進んでいく先が似ているから彼女に強く惹かれ続けていたんだ



彼女の歌も、こうして目が覚めた最近は、
前よりももっともっともっとふかーく、あたたかーく、響いてる。


作った時の気持ち、レコーディングの時の気持ち、歌うとき毎回の気持ち、
きっと彼女の気持ちはそれぞれで少しずつ違っているんだろうな


微妙に変わっていて でも歌という形にしてこの世に生み出すということは
たくさんの人に、提供して、共有して、また聞いた人が歌ってそれを誰かが聞いて
歌って世代を超えて国を超えてひろがっていくから最強だよなぁ


そんな歌を作る、歌うという、彼女に備わった能力を使って、あたためて、
だいじなものを多くの人に伝え続けている彼女の生き方。


人の前に立つことだから
迷うことも、やめたいと思うこともどれだけあっただろう。
でも、彼女はただ笑ってそれを続けている。
いろんなことを諦めていない。そして、好きなのだ。そうしていたいんだ。


先週、彼女のファンになって20年かかって
やっと初めて行ったLIVEで感じれました。


ありがとう、伝え続けていててくれて。


これだけ、世界が素敵で豊かで面白いということ
あなたが、感じて、伝えて、そうして続けていててくれることで
また深く味わえている今日も感謝しています。